昭和45年~昭和53年頃の記憶を集めてみました。
身の回りの物
テレビ
確か小学校1年生位まででしたが、白黒の手回しチャンネル付きのテレビが居間に置いてあり、壊れた後は初めてシャープの
20インチ位のカラーテレビを近所の電器屋さんで買ったのを覚えています。一応リモコンは使えるようになっていましたが高価
なため付けず、20個位小さな押しボタンが縦に並んでいてそれでチャンネルを変えるようになっていました。電源を入れてすぐ
映るようになり感動しました。前のはおそらく真空管式だったのではないかと思います。
現在50代以上の人はチャンネルを変えて欲しいときに「チャンネルを回して」とつい言ってしまうことがよくあるのではない
でしょうか。
洗濯機
洗濯機についてはうろ覚えですが、横に手回し脱水用のローラーが付いていたものを覚えています。母が毎朝かなり大変そうで
した。現在なら非常に危険なので販売は許可されない代物だったでしょう。その後は2槽式のものを何十年も使っていました。
最初は「全自動」式ではなかったので水を入れる時は人の手によるものでした。時々蛇口を切り忘れて水がこぼれて下の階の
人が苦情を言いに来たことがありました。
冷蔵庫
当初はそれほど大きなものは売っていませんでした。冷蔵室と冷凍室のみの高さが150cmほどのもので、かなり耐久性があった
ことを覚えています。何でも詰め込んでいたので脱臭剤のCMがよく出ていました。
覚えているのは「キムコ」と「ノンスメル」。これらは互いにライバルでした。だんだんと大きくなっていき、「キムコ
ジャイアント」で打ち止めだったように思います。冷蔵庫の性能が上がったり室数が増えてきたので今は見かけなくなりました。
軽自動車
家には自動車がありませんでしたが、何かの機会で軽自動車に乗せてもらうことがありました。ご承知のように当時の軽は
550ccでターボなどはなく、天井も低めでちょっと背の高い人が乗ると頭がつかえました。
4人乗って高速道路を走るとエンジンが死にそうな音を発し、後からバンバン抜かれました。よく途中で壊れなかったと子供
心に感心していました。
ラジカセ
初めて買ってもらったのは小学校4年生位の時で、メーカーは忘れましたがモノラルのものでした。自分の声を初めて録音して
聞いた時はかなりショックでした。以降ビクター製の当時3万近くしたステレオのものに買い替え、FMラジオを録音していま
した。
最初の頃は一度録音したものに再度録音すると前の音が残り、怪奇現象みたいになりました。そのテープは今でもありますが。
父がそれまで趣味で真空管ラジオ(5球スーパー)を作っていましたが、トランジスタ式のものに変わりかなり小さくなった
ものがたくさん出てきたのを覚えています。また真空管を買いに秋葉原に行ったついでに3石トランジスタラジオやインター
ホーンの製作キットをよく買って帰りました。電卓が出て来たのもこの頃だったように思います。
井戸
当時の田舎の家にはたいてい井戸がありました。飲料水はもちろんスイカなどもよく冷やしていました。水面まで5m位だった
でしょうか上から覗いたら暗くて非常に怖かったのを覚えています。
トイレは汲み取り式のものがほとんどで、母屋から10mほど離れたところにポツンとあり、途中井戸のそばを通らなければなり
ませんでした。お盆の頃はテレビは怪談物が多かったので夜間はよく誰かに一緒についていってもらってました。
また蚊取り線香もよく使っていたのでその匂いでお墓などを思い出してよく寝られなかったこともありました。
出来事
国鉄
民営化する前の国鉄時代で近隣の駅であった出来事です。ホームにいると「通過電車です」というアナウンスがあり、駅員の
一人が制帽をかぶりつかつかとホームの端まで歩いて行き、ぎりぎりで立ち止まってなぜか敬礼し始めました。そこへ何とも
変わった風格のある電車(正面に菊の紋章があったかもしれない)がその駅員すれすれで通り過ぎていき、しばらく敬礼した
ままでした。
電車にはおそらく天皇陛下もしくは皇族が乗っていたのだと思います。しばらく呆然としました。
スーパーカー
小学校5~6年生の頃空前のスーパーカーブームが起こりました。スーパーカーのカードやテレビ番組など自分もよく見てい
いました。某スポーツ選手の乗ったスーパーカーが渋滞中にオーバーヒートを起こして燃えたというニュースもあって、
かなり話題になりました。
特に人気があったのはランボルギーニ・カウンタック、フェラーリ512BB・365、ポルシェ930で模型も作りました。それまで
300km/hを出し、12気筒で5000cc近くの車など皆無で、デザインも日本車とは大きく違い夢の中の乗り物として映ったようです。
その後中学に入ってもスーパーカーの人気は残り、スーパーカー消しゴム遊びの大ブームとなっていきました。
これはスーパーカーの形をした消しゴムを机の上でボールペンのノックの戻りなどを利用して落とし合うものです。落とした
方は落とされた消しゴムをもらうことができます。めんこやベーゴマも一時はやりましたがその趣旨は同じです。
中には消しゴムの下にセロテープやホチキスの針を刺してすべりをよくしたり、ノックのスプリングを強くしたり、ノックの
変わりにスプリングの付いた閂錠を使う輩もいました。今思うになぜあそこまでブームになったのかよく分かりませんが。
学校生活
小学校・中学校の頃は今では大変な問題になるだろう体罰が日常茶飯事でした。当時は今の子みたいに行儀よくありません
でしたのでそこらじゅう走り回ったり、いたずらしたり、取っ組み合いのけんかもかなりありました。特に運動部では失敗
したら殴る、態度がなっていないと殴ることが多かったのですが、殴られる方もそれなりに覚悟していたようですし、怪我する
ほど本気で殴らなかったようで、明くる日は何事もなかったようでした。保護者もある程度は是認していたのではないかと思い
ます。
給食では学期の最後に「おたのしみ給食」というのが出ました。みつ豆、プリン、三角パックのコーヒー牛乳、砂糖をまぶし
たコッペパンなどで、時々鯨も煮付けやベーコンで出ました。
自分の親世代では特に都会育ちの場合、牛乳ではなく脱脂粉乳が出たそうでまずくてとても飲めたものではなかったそうです。
テレビ番組
小学生の頃はアニメや特撮が全盛期でした。学校へ行く前には「忍者部隊月光」「カリキュラマシーン」、そして「おはよう
700(セブンオーオー)」。学校から帰った後も当時6:30位から東京12チャンネル(現テレビ東京)で「マンガの国」という
のがあり、主に 欧米の「ポパイ」「チキチキマシン猛レース」「ターザン」「シャザーン」といったアニメを放送していました。
「サンダーバード」や「コンバット」など大人でも楽しめるものも夜間によく放送していましたし、日本のものでは「ザ・
ガードマン」や「Gメン'75」、そして「太陽にほえろ」など刑事ものが人気でした。
おそらく幼稚園位だと思いますが、マイナーなところでは「ウルトラQ」や「怪獣ブースカ」「悪魔くん」「河童の三平」と
いったものが白黒だったことは覚えていますし、 カラーに変わってからは「仮面の忍者赤影」そして「仮面ライダー」でした。
幼児番組では「ロンパールーム」「ピンポンパン」「ひらけポンキッキ」など相次いで登場しました。
食べ物など
カップ麺
物心ついた時はもうありました。カップヌードルはちょっとからいですがそのまま削って食べてもおいしかったです。
カップの焼きそばもしばらくしてペヤングやUFOなどが出てきましたが、考えたのは日本人らしくすごいと思ったものでした。
浅間山荘事件の時に夜通し対応した警官たちがカップヌードルのおかげで空腹を満たし、犯人逮捕に至ったと聞いて感動
しました。ボンカレー登場もこの頃だったと思います。
飲料
小学生の頃にDr.ペッパーというファンタに似た飲み物があちこちの自動販売機で売っていました。味はシナモン風味の甘い
炭酸ジュースで何とも奇妙な味だったことを覚えています。自分としては嫌いな味ではなかったのですが、周りの子供達は
まずいという人ばかりで変な目で見られました。また黄色い缶でチョコレートを溶かした飲み物も好きだったのですが名前は
忘れました。
ビン入りのコカコーラと言えばフタの裏に10円や50円などあたりくじ付きのものが出回ってかなり人気があったように記憶
していますし、プラッシーやバヤリース、セブンアップなどもよく飲みました。
お菓子
まだ幼稚園~小学校低学年位の時に親がよく「ボンタン飴」を買ってくれました。薄いオブラートで包んだオレンジ色の柔ら
かいお餅みたいなものでした。「ボンタン」というのが長い間分かりませんでしたが、箱の表紙にミカンみたいな絵が描いてあ
るのをある日発見し柑橘類の一種であることがわかりました。今でも時々見かけます。
また「都こんぶ」もよく食べました。非常に酸っぱい昆布で酔い止めの効果もあるため買ってくれたものと思います。田舎に
行くためによく新幹線に乗りましたが、ホームで売っていた「冷凍みかん」もよく買いました。あの冷やし加減はかなり難しい
みたいで、試しに家で冷凍したらカチンカチンになりおいしくありませんでした。
駄菓子屋さんも全盛期でした。当時100円あればかなりのものが買えました。麩菓子、串にささったカステラや酢だこ、サイダー
の粉の入った小袋は店の外の蛇口から水を入れて飲んでいました。めんこもよく買った覚えがあります。
最近残念ながらカール、ポッキー、そしてチョコフレークが発売中止になるようで寂しい限りです。
(つづく)